数学は暗記科目か?

数学は暗記科目、いや、数学は思考科目だ、という議論がたびたび繰り返されていますが、

 

どちらが正しいのでしょうか?

 

結論から言うと、

 

数学は暗記によっても、思考によっても解くことができるが、

 

受験数学では、暗記による方法が適しており、

 

学問・研究における数学では思考による方法が適している

 

というのが正解です。

 

どういうことか、以下、詳しく解説していきましょう。

 

受験数学は、暗記によっても、思考によっても解くことができます。

 

しかし、受験数学を思考によって解くには、限界があります。

 

なぜなら、受験数学には、厳しい制限時間が設けられているからです。

 

 

この世の全ての数学知識を有しており、さらに思考力も最高で、数学知識を全て適切に組み合わせることができる数学の神Aがいるとしましょう。

 

ただし、この秀才は受験数学に特化した勉強はしていないとします。

 

一方、受験数学の範囲内だけの数学の解法を全て暗記している秀才Bがいるとします。

 

この二人が、難関大学の数学の受験問題を解くとしたら、どちらがより高得点をとるでしょうか?

 

もちろん、秀才Bです。秀才Bが圧倒的な勝利を収めます。

 

なぜなら、Aは様々な理由により、時間的に圧倒的に不利だからです。

 

以下、このことについて解説していきます。

1.思いつく解法の量

まず、「思いつく解法の量」という問題があります。

 

同じ問題に対して、神Aは秀才Bよりはるかに多くの解法を思いつくことができます。

 

Aは思考力が最高なので、受験範囲内の数学知識に囚われずに、大量の解法を思いつくことができます。

 

というより、受験数学の範囲外の知識も用いることができるので、大量の解法が必然的に生じてしまいます。

 

一方、Bは受験数学の範囲内の知識だけを運用すればよいため、必要最小限の解法を思いつくことができます。

 

AとB、どちらも「最終的には解答するのに適切な解法」を思いつくことができますが、

 

それまでに、AとBでは、Aがかなり時間がかかってしまうのです。

 

Aが思いついた解法群の中、Bが思いついた解法群の中、それぞれにアタリが入っていますが、

 

アタリを引くまでに、Aの方が時間がかかってしまうのです。

 

 

例えば、神Aが全解法20思いついた時に、

 

秀才Bは解法を3つ思いつく、ということが起こります。

 

神Aは20の解法を吟味して行かなければならないのに対し、

 

秀才Bは3つだけを吟味して行けば良いので、

 

圧倒的に短時間で問題を解くことができるのです。

2.解法を思いつく速さ

さらに、個々の「解法を思いつく速さ」という問題もあります。

 

Aは「思考」によって論理的に考えていっているのに対し、Bは解法を思い出しているだけです。

 

そのため、Bは圧倒的に短時間で問題を解くことができます。

 

受験範囲という範囲が限定された中なので、事前に、類題を解いておくということができます。

 

そのため、緻密に思考して解法を思いつく必要は無く、「なんとなく過去に解いた中で似ている感じがする問題」を思い出し、

 

その問題を解くことができた解法を、適用させれば良いだけなのです。

 

 

また、数学の問題の中には思考力によって解法を導き出すのが時間内にはほぼ不可能な問題も多数あります。

 

試行錯誤の結果、偶然上手く行った解法を記憶していなければ、時間内に解法を思いつくことはほぼ不可能、という問題が存在するのです。

 

こういう問題に対しては、事前に類題を解いておき、解法を記憶しておけなければ太刀打ちできません。

 

 

思考によって知識を組み立てていくという方法に対し、解法(思考の塊)を暗記し、それを思い出す、という方法は短時間で済みます。

 

これにより、AはBに比して、時間的に不利になります。

 

その場で適切に知識を組み合わせて思考して、解法を導き出すよりも、予め「組み立てられた解法」を覚えておき、それを思い出す方が、

 

遥かに簡単に(思考力を要さず)短時間で問題を解くことができます。

 

これにより、神Aは秀才Aにさらに時間的に不利になってしまうのです。

3.解法を適用させる速さ

以上をまとめると、

 

神Aは、秀才Bよりも数学的能力に優れているのにも関わらず、受験数学の問題では低い点数しか取れないのです。

 

思いついた解法の量自体が違うので、より多くの解法を思いついてしまうAの方が、より多くの時間がかかってしまい不利です。

 

さらに、解法を適用させる時点でも、大きな時間差が生じます。

 

 

受験数学では、問題を時間内に解けるようにするために、「適切な条件設定」がされています。

 

数値が代数であれ、具体的な数値であれ、適切な「アタリ」の解法を用いれば、ある程度、時間がかからずに解けるように適切な条件設定がされています。

 

逆に言うと、アタリ以外の解法ならば、場合分けや計算などの「処理」にかなりの時間がかかる可能性が高い、ということです。

 

したがって、より多くの解法を試さなければならない神Aの方は、アタリの解法が出るまでより多くの、解法を試さなければならないため、

 

秀才Bよりも時間的に圧倒的に不利なのです。

 

 

 

ここで、「思考力のある人間ならば、解法を大量に思いつかずに、適切な解法だけに絞れるのではないか?」

 

という疑問を抱く方がいらっしゃると思います。

 

しかし、いくら思考力があっても、解法を絞るには限界があります。

 

解法とは、「問題を解くことができる方法」のことであり、「時間がかかる方法かどうか?」ということかどうかは関係ありません。

 

「その解法で問題を解くことができるかどうか」は、「思考」によって導き出すことができますが、

 

その解法が短時間で問題を解けるものかどうかを思考力によって判断するには限界があります。

 

それには、「処理力」が必要になってくるからです。

 

実際に、その解法を使って問題を解いてみなければ分からない場合が多いのです。

 

解法を適用させて、ある程度解き進めていく段階で初めて、

 

簡単に解けるか、処理が煩雑になり過ぎるか、ということが分かるからです。

 

思考力によってはこの問題は解決できず、その解法で時間内に解けるかは、「実際にやってみなければ分からない」のです。

 

アイデアを出す「思考力」と、具体的な処理をする「処理力」は全く別物なのです。

 

問題の解き方が分かることが重要で、実際に数式を解く段階では処理力の高いコンピュータを用いれば良いのです。

研究に必要な能力とは?

以上により、

 

この世の全ての数学知識を有しており、さらに思考力も最高で、数学知識を全て適切に組み合わせることができる神A

 

と、

 

受験数学の範囲内だけの数学の解法を全て暗記している秀才B

 

では

 

受験数学においては、圧倒的にBが有利である、ということが分かったと思います。

 

 

 

では、数学の研究においては、どうでしょうか?

 

数学の研究においては、当然のことながら、神Aが圧倒的に勝ちます。

 

Bは、受験数学という限定された範囲内、かつ限定された時間内においては、絶大な力を発揮しますが、

 

数学の研究においては、全く成果を挙げられません。

 

思考によらず、記憶力の高さで解法を暗記し、解法を適用させていただけだからです。

 

受験数学よりはるかに広い範囲の数学全体においては、暗記による解法の適用はほとんどできません。

 

解いた覚えのある問題を思い出して、その解法に適用して上手くいった解法を適用させる、という方法は用いることができません。

 

論理的に、緻密に考えていくしかないのです。

 

 

Bは、論理的に思考する能力に乏しいので、研究においては、全く成果を上げることができません。

 

Bは、受験数学という限られた条件下においてのみ、発揮できる能力を持っているだけなのです。

 

その能力を発揮できる場所はどこか、と言ったら、受験数学の世界だけです。

 

その他の世界においては、何の役にも立たない数学オタクに過ぎません。

 

研究においては、「コンピュータ」を使うことができるので、人間の処理力の多少の差は問題ありません。

 

したがって、研究において成功するのは、Aのような、思考力のある人間なのです。

 

研究においては、受験数学のように一問当り数十分などという不自然極まりない制限時間などはなく、

 

長い時間をかけて、高い思考力によって思いついた全ての解法を試していくことができるので、成果を上げることができるのです。

受験数学の問題点

天才Aが、受験数学において良い成績を収めるためには、解法を大量に記憶しなければなりません。

 

問題の解法を思いつく速度を速めるために、受験数学範囲内の問題を大量に解いて、解法を導き出すのではなく、

 

解法を記憶してそれを素早く適応させられるようにしなければなりません。

 

しかし、それにはかなりの記憶力を要します。

 

解法をその場その場で思考力によって導き出すのは、あまり記憶力はいりません。

 

記憶している知識の量自体は少なく、その知識の組み合わせ方で、たくさんの解法を思いついているからです。

 

本質を理解し、応用することができているということです。

 

しかし、受験数学を速く解くために、知識の塊である解法を大量に覚えるのには、相当高い記憶力を要します。

 

したがって、いくら思考力の高い人間だとしても、記憶力も高くないと、受験数学では時間内に問題を解くことが難しいのです。

 

 

 

あなたも、高学歴で、数学の難解な問題を楽々解けたのに、

 

知性を全く感じない人間や、仕事の全くできない人間を見たことがあると思います。

 

これは、思考力で問題を解いていない人間だったからなのです。

 

記憶力が良く、類題を解いて、解法パターンを大量に記憶していただけだったので、

 

理系で高学歴に人でも、ほんのちょっと考えれば分かるようなことも分からない、という事態になるのです。

 

受験数学で全国上位の人間や、数学オリンピックなどで金メダル、銀メダル受賞者などで、

 

数学を含む理系における研究において、良い業績を残せている人間は世界的に見てほぼ皆無です。

 

興味があれば、調べてみてください。

 

という訳で、受験数学は暗記科目です。

 

一生懸命「考えて」解いていた人たちがたくさんいると思いますが、

 

全国で上位にいるような人たちは、ほぼ全員思考せずに、暗記で解いていた、という訳です。

 

 

これまでの内容を簡潔にまとめると、難関大学の受験数学の問題は

 

時間制限が非常に厳しいので、どんなに思考力が高くても、

 

出題範囲内の解法を大量に記憶していなければ、

 

時間内に満足な点を取ることは不可能

 

ということです。

 

難関大学・学部では、先述の通り思考力によって問題を解くことは非常に難しいため、

 

先天的に記憶力の優れた人たち、思考せずに、先人が思考によって導き出した結果を覚えて来ただけの人たちが集まります。

 

そして、難関大学・学部でなく、

 

むしろ、それより少し下の偏差値の大学の方に、「真の数学的な能力」が高い人が多く集まっています。

 

そのレベルの大学であれば、思考力によって合格ラインの点数を取ることも可能だからです。

 

現在の受験数学の制度では、本当に数学の力がある人を埋もれさせてしまっています。

 

 

受験数学が得意でも、記憶力が良かっただけで、特にその他の何かの能力が優れているという訳ではなく、、

 

受験数学が苦手だった人でも、頭が悪い訳では全くありません。

 

多くの人がこのことに気付き、真に能力のある人間が、正しく評価される社会になっていって欲しいものですね。

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